宮古島100kmワイドーマラソン

那覇からの帰りの飛行機の中で

この長かった様で短かった様な

不思議な時間を振り返りたいと思う。

 

 

 

 


元々のルーツは5月。

GWに沖縄に行った時に、ゆうじさんに

誘ってもらったこと。

 

 

 

 


「70kmを超えた時、限界を迎えた時

自分とどんな対話をするんだろう」

 


「これを達成できたら

自分のことを好きになれるかもしれない」

 


「できっこないをやらなくちゃ」

 

 

 

 


こんな言葉に自分が共鳴して、

エントリーするか否かを悶々と悩んでいた。

 

 

 

 


そこから、仕事が軌道に乗ってきて

何となく自分に目標がないことに

気がついた。

 

 

 

 


仕事はもちろん可能な限り頑張っている。

だけど、プライベートは?

トライアスロン以来、

何かに夢中に取り組めているか?

 

 

 

 


そんなことが心の中で反芻していた。

8月に彼女と別れたことをキッカケに

自分の時間が多くでき始めた。

 

 

 

 


そして、9月、大分出張の途中で

エントリーの意思決定をした。

最初は途方も無い距離で、

実現可能性すら見えないものだった。

 

 

 

 


11月の福岡マラソンにエントリーした。

まずは11月の福岡マラソンという目標を

仕留めるべく、調整を始めた。

 

 

 

 


最初は今では考えにくい

足首を怪我して、そのあと左膝を痛めた。

福岡マラソンの前に出走断念すべきか

悩んだことも今では懐かしい。

 

 

 

 


無事に走りきり、42.195で苦しんだ自分を

反省し、そこから2段階くらいギアを

上げる必要があると感じた。

 

 

 

 


リハビリで走り方を変え、

こまめにトレーニングをし、靴を変えた。

でも、やっぱり一番はネットの記事を

漁る様に見てたことだと思う。

 

 

 

 


調べることは全く苦じゃなかったし、

気づいたら調べていた様な気がする。

寝る前、移動中…。

ともかく夢中だったのかもしれない。

 

 

 

 


忘れられないトレーニングは、

12/24の75kmのロング走

1/1にジムに行ったこと

ラスト1週間の毎朝3:00起きかな。

毎日会社にもマスクつけて出勤した。

 

 

 

 


いま振り返れば、

「よくそんなことできたな」って

自分でも感じる。

 

 

 

 


そして、それくらい夢中だったんだって

今、冷静になって気づかされる。

 

 

 

 


年末に帰省した時に、おかんとおばぁから

期待してるって言われたとき。

会社の人やお世話になった先輩からの

期待を感じたとき。

その人たちを背負ってる気持ちが

凄く嬉しくて力になったなぁと思う。

 

 

 

 


前日の夜、当日の朝の緊張感は

忘れられない。

 

 

 

 


前日に、心も身体も強張っていたのを

ほぐしてくれたのは、

宮古の海の青さだった。

 

 

 

 


いままで頑張ってきた

ご褒美の様な気がして、

エネルギーが身体の底から湧いてきた。

 

 

 

 


いよいよ当日の朝になって、

沢山の緊張と多くの人の期待を背負って

走り始めた。

 

 

 

 


10km地点くらいまでは予定より

オーバーペースで走ってしまい

そこからは、かなりペースを抑えた。

 

 

 

 


20-30kmまでは比較的楽に

気持ちよく走り抜けることができた。

 

 

 

 


30-40km地点、ここが最初の鬼門だった。

同じような景色が続いていて

「これちゃんと終わりくるのかよ」と

思わされる様な時間が続いた。

 

 

 

 


40-46.5km 池間大橋からの帰りに

雄太、金城さん、ゆうじさんとすれ違い

必死に戦ってる様子を見て、

「1人じゃないんだ」って再認識した。

 


フルマラソンを5時間切る位のペースにも

関わらず、まだ身体が動くって感じた。

休憩所で、簡単に休憩して、想定通り

50kmを6時間で仕留めるべく出発した。

 

 

 

 


50-60km 想像していた以上に、

身体に疲労が溜まっていたこと。

そして、50kmの部の人達に

追い抜かれて2回目に心が

折れそうになった。

 

 

 

 


60-70km なんとか60kmを超えて、

70kmに向かうという時点で

少しずつゴールが見えてくる感覚を感じた。

「まずは70」そんなことを考えながら

練習してきた10kmを走った。

 

 

 

 

 

 

70-80km 70を超えた時点で、ペースが

想定より早いことに気づいた。

また75kmからは自分の中で未知の領域で

あることを目標にまた走った。

80kmについて、完走が現実化した。

 

 

 

 


80-90km 完走が見えた自分にとって

最大の脅威は、「怪我をすること」だった。

まだ残りは20kmある中で、アクシデントを

防ぐべく、ウォークを始めた。

 


想定以上にこの距離内にアップダウンが多く

右のハムストリングにダメージが

蓄積していく。

 


つる可能性も考慮しながら、ゆっくりと

歩を進めていった。

 

 

 

 


90-100km いよいよラスト10km。

ウイニングランだと思っていたが、

2kmほど走ると、

もう足は動かなくなっていた。

 


歩くことも精一杯。

どれだけ食べても、身体が動かない。

ここからは、本当に気力でやりきった。

 


一歩一歩ともかく前進していく。

1kmという距離がここまで遠いものだと

感じたことは無かった。

 


周りのランナーにも抜かれた。

 


村上春樹の著書にあった通り、

ともかく身体を前に進めることを繰り返し、

ふと残り3kmのコーンを発見した。

 


そこからは無心で歩いた。

 

 

 

 

 

 

体育館が見え、仲間が出迎えてくれた時

きっと涙が止まらないんじゃないかと

思ってた。

 

 

 

 


実際考えたことは、

完走できなかった仲間に対する同情

そして、身体が疲労していたことだ。

 

 

 

 


意外に冷静な自分でゴールして、

みんなとハイタッチをして、写真を撮った。

 

 

 

 


そこから1日経って、多くの人に

祝福の言葉を掛けてもらい、

改めて自分がやったことの大きさ

を実感している。

 

 

 

 


おかんとおばぁからは

「大したものだわ」

「思いがけないことをしてくれる」

なんて言葉を貰い、とても嬉しかった。

 

 

 

 


自分が何気なくやったことを通じて、

他の人達に勇気やエネルギーを

与えられることは、こんなに

嬉しいことなんだと。

28年間生きてきて、初めて経験した。

 

 

 

 


だらだらと感じたことを書いたが、

今回の成功の要因/学びは3つだ

 

 

 

 


1.方向性の正しい努力は報われる

当日を迎えるまでに、

多くの情報を収集した。

 


身体のケア、食事含めたトレーニング方法

ペース/時間配分のレースマネジメント等

 


怪我の多い準備期間の中で、

身体だけじゃなく頭でも戦えた結果

今回の達成はあったと思う。

 

 

 

 


2.目標にマイルストンを置く

途方もない目標に立ち向かう時、

それぞれにマイルストンを設定すること。

そして、そのマイルストンが

身近であること。

 


またその目標に意味をつけていくこと。

そうすることで、

心が折れず戦うことができる。

 


その結果目標達成の実現可能性は高まる。

 

 

 

 


3.誰かのために戦う

改めて、これを再認識した戦いだった。

多くのサポーターが居たから、

「喜んで欲しい」って気持ちで走れた。

 


高校の部活でも学んだことだが、

それを改めて再認識した経験だった。

 


また祝福してくれる人が多いほど

達成感/喜びは大きくなると感じた。

 

 

 

 


さて、そろそろ締めに入ろう。

 

 

 

 


Play hardを掲げた2019年一発目に

こんな大きなことを達成できたことは

とてもとても喜ばしく、自信になる。

 

 

 

 


これから先、どんな環境が待ち受けるかは

まだまだ想像もつかないけれど、

この経験/自信を胸に立ち向かいたい。

 

 

 

 


本当に本当によく頑張りました。

本当に本当にお疲れ様でした‼︎

 

 

 

 


Play hard