5月を振り返る

5月が終わった。

今年の5月は今年のプレイバックに入るほど

自分の人生にとって大きな1ヶ月だった。

 

 

 

プライベートでは、毎年恒例となっていた沖縄にいけなかった。

とても物足りなくて、毎年帰ってくると体調を崩すほど遊ぶくらいなのに

寂しいゴールデンウィークとなった。

 

 

 

一方で沖縄のメンバーが自分が沖縄にいけないことを

同じ様に寂しく思ってくれていることを知り、嬉しくなった。

この機会に、当たり前が当たり前でないことに気づくことができた。

 

 

 

次に沖縄を訪れるのが今から楽しみだし、

楽しさも何倍増しにもなって帰ってくるのだろう。

 

 

 

そして以前記事にも書いたが、仕事に対する価値観も変わった。

仕事を第一優先にずっとやってきたけれど、

その反面エッセンシャルな部分である親やパートナーとの

時間が削られていることを知った。

 

 

 

母親と本音で向き合うことで、仕事を頑張っている自分と

その自分が受け入れられないというずっと感じていた

すれ違いを知ることができた。

 

 

 

仕事に体と心が蝕まれそうになって、初めて気づいたことがある。

それは、こうやって健康に毎日を過ごしているだけで

幸せであるということである。

 

 

 

肉体的にも精神的にも追い詰められたときに感じたこと。

それは、病んでしまうことによって、今まで積み重ねてきた

自分の努力が崩壊してしまうことへの恐怖だった。

 

 

 

阿佐ヶ谷パール商店街を歩きながら、走馬灯の様に

高校受験、大学受験、就活、大分時代、広域時代が頭を駆け巡った

そして、支えてくれた人たちの悲しい顔が頭を駆け巡った。

 

 

 

今思うこと。

それは、仕事は頑張れた方がいい。

目標を持って、そこに向かって一生懸命に取り組むことは素晴らしいこと。

 

 

 

但し、それはベースがあってこそだ。

自分の大切な人たちが笑顔でいてくれること。

そして自分が心身ともに健康でいられること。

この部分を犠牲にして結果を出すことは、幸福とはいえない。

 

 

 

幸福の定義となる人的資本も、金融資本も充実するかもしれない。

だけど自分の中のエッセンシャルな社会的資本は全然満たされない。

僕は、これを幸せとは言えないと思う。

 

 

 

社会一般ではどう言われるかわからない。

でも、僕自身は絶対に呼べない。

それを学べたこの1ヶ月はとても大きな1ヶ月となった。

 

 

 

ようやく自分を取り戻しつつある。

レーニングで引き裂かれた筋繊維が修復するように

キツかった分、強くなって帰ってこれると信じている。

 

 

 

I WILL. Life is mine.