おかんとの時間

9月の4連休に名古屋に帰った。

昨年末以来行けていない墓参りと、おかんと旅行をするために帰った。

元々は帰るつもりはなかった。

今回帰るきっかけをくれたのはまなだった。

 

 

 

盆に沖縄に行った時に、おかんとやりとりをしている自分を見てか

4連休に帰るべきだと提案をしてくれた。

そんなきっかけから帰ることが決まった。

 

 

 

久しぶりに顔を合わせて、墓参りのあとに

秋の始まりを告げる涼しい風を浴びてコーヒーを飲みながら

他愛もない話をした。

 

 

 

京都は幸いにも天候に恵まれて、いろんな場所に行けた。

壬生寺三十三間堂平等院鳳凰堂etc...

仏像を拝むよりももっと大切なことがあった。

それは親と会話をするということである。

 

 

 

移動中、寺社仏閣の拝観中、食事中、

あれだけ親と会話をしたのはいつぶりだろう。

それくらいよく会話をしたように思った。

 

 

いつからあれだけ愚痴っぽくなったのだろう。

いつから接することが難しいと思う様になったのだろう。

いつから煩わしさを心に覚えるようになったのだろう。

 

 

 

きっと一緒にいない時間の中で、愛を受けていない

彼女の心は少しばかり荒んでしまったのかな。

もしくは、自分が冷たい人間になってしまったのだろうか。

 

 

 

僕らは離れて生活している。

東京と名古屋で離れて、もう12年になる。

そりゃお互いに分かり合えない部分も沢山あるだろう。

生活リズムが違うから、ストレスを感じることもあるだろう。

 

 

 

だけど、今年60歳を迎える彼女のわがままを

いつまで聞いてあげれるだろう。

いつまで思い出を一緒に作ることができるだろう。

 

 

そんなことを思うと、一緒にいる時間を

もっと大切にすべきなのだろうと感じた。

せめて、普段一緒にいてあげられない分、

行きたい場所に付き合ってあげるほどの余裕はもたないと反省した。

 

 

 

親がいなくなって、初めて人は親のありがたみを再認識し

親孝行できなかったことを後悔するのだろう。

時間は限られている。それを認識した上で、次自分が何をすべきか。

 

 

 

I WILL. Life is mine.